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7th
Sat
7th
“数学語”と、日常語の翻訳作業は、”理系”の大学1年生のうちにみっちりやります。
例えば日常語で
「R上の関数f(・)がaで連続である」という日本語は、数学語を用いて
「∀ε > 0 ∃δ > 0 s.t. |x-a| < δ ⇒ |f(x)-f(ε)| < ε」
のように表現され(定義です)曖昧だった”連続”の意味が明瞭になります。
これが悪名高いε-δ(イプシロン-デルタ)論法というやつで、”理系”の大学一年生は
大半が苦しめられることとなります。
なぜこんなことをするのかというと、上にも書いたとおり明瞭だからです。
自然言語がコミュニケーションの際に誤解を招く可能性が必ずあるにも関わらず
(同じ内容であっても、文脈によってイヤミになったりするでしょう)数的言語ではそれが
起こる可能性がありません。表現されたものを正しく読者が読み取った場合、
情報のロスは0%にできてしまうんです。
数学の言葉はだから、それがどのように受け取られるか考える必要がありません。
日常の会話で、”理系”の人間が表現下手といわれるのには、こういう背景も
あるかもしれない。
多少の語弊はありますが標語的にこんな風に言うことができるかもしれません。
「数学は、相手の目を見て話す必要がない言語だ」
— 柳に燕